超即興(内橋和久+吉田達也)+福田亮 吉祥寺Foxhole

7月16日 超即興(内橋和久+吉田達也)+福田亮 吉祥寺Foxhole



























7月16日  吉祥寺FoxHole
超即興(内橋和久+吉田達也)+福田亮




本日付(7月25日付)で惜しくも閉店してしまう吉祥寺FoxHoleに、超即興を聴きに行った。フレットレス6弦ベースの福田亮が参加したトリオ編成だった。


恥ずかしながら、福田亮についての知識はなかったが、いつものとおり、事前の下調べは一切せずにライブ会場に足を運んだ。幸いにも、それが吉と出たと思う。


超即興の場合、ギターはリズム楽器としての役割を大きく担っていると思う。リズムギターという一般的な考え方ではなく、ツインユニットの相手方のドラムスと同等のリズム楽器としての役割が強調されているような気がする。ソロパートの時でさえ、ギターはリズムの役割から完全に解放されることはないような感じがする。


今回、福田亮が参加したことによって、内橋和久はシングルノートの奔放なソロを何度も披露した。それは、リズムの役割から解放されたひと時だったのだと思う。


福田亮の奏でるベースのフレーズやサウンドのところどころに、アメリカのコンテンポラリー音楽の影響がうかがえた。これが、超即興の持つ非アメリカ的な音と融合していくさまはとても新鮮だった。



時として、福田のベースを介して、内橋和久と吉田達也がかなりな程度、アメリカンコンテンポラリー音楽に染まっていく瞬間があった。それは本当に稀有な体験だった。




内橋和久と吉田達也がお互いにリズムの断片を提示した後、拍子やテンポの急激な変化が起き、これがしばらく続いた後、再び異なるリズムの断片が提示され全体のリズムの変化が生じる―――。こうした循環が永遠に続いていくように感じるのが、超即興の醍醐味だと、私は考えている。



この日のライブでは、福田亮の提示したリズムの断片に吉田が反応し、拍子やテンポが変化し、これがしばらく続いたことが何度かあった。一曲を通して循環するということはなかったものの、とても興味深い場面だった。



内橋と福田が自然な流れで、ともに低音部でリズムを刻み続け、吉田のドラムが激しさを増していった場面は、この日の白眉だったと思う。



ちょうど福田亮の真後ろに座ったため、どういう風に6弦フレットレスベースを弾いているのか良く分からなかった。耳に入ってくる音だけで理解するのは不可能だが、集中して聴く分には良かったのか、とも思う。


将来的に再演があるとするならば、どういう風に発展していくのか楽しみな組み合わせだ。



吉祥寺FoxHoleには3度しか行ったことがなかったが、とても良いお店だった。


再開を切に願いたい。