巨星墜つ

生悦住英夫氏 2月27日逝去


初めてモダーンミュージック・PSFの門を叩いたのは、2003年の秋口だったと思う。


並み居る常連客の中にあっても、分け隔てなく接してくれたのを今でも良く覚えている。




生悦住さんからは、本当にいろいろなことを教えてもらった。


行けば必ず2時間くらい、お話を聞くことができた。





灰野敬二、今井和雄、HIGH RISE、三上寛工藤冬里、工藤礼子、友川カズキ、白石民生、数えればきりがないほど、素晴らしい音楽家たちについてのエピソードを語ってくれたものだった。




当初は、ジャズ色が強いブログを書いていた私が、次第に方向転換し現在に至った、そもそもの発端は、生悦住さんとの出会いにあった。




私が所有しているアヴァンギャルドミュージックの音源のほぼ100%は、明大前のモダーンミュージックで購入したものだ。





お店に通い出した頃は、ちょうど高柳昌行の再評価の機運が高まった時期にあたり、高柳昌行生前のエピソードをしばしば聞かせてくれたものだった。





2005年のことだっただろうか。
浅川マキが所属していた、東芝EMIが、英国EMIに買収されるという話が持ち上がっていて、この買収劇を生悦住さんはとても気に掛けていた。というのも、浅川マキのレコーディングは、相当な手間と資金がかかるので、買収先の英国EMIが契約を打ち切るのではないかと心配でならないようだった。 ※関係者の尽力もあり、契約は継続された。







ライブ会場でばったりとお会いしたことが2度ほどあった。



最初は、荻窪ベルベットサンで開催された、井野信義、今井和雄、千野秀一の初共演ライブだった。


そして、2回目は、PSFが主催した、成田宗弘・山本達久、今井和雄・吉田達也それぞれのDuoライブだった。






終演後に、私が「すごいライブでしたね」と話しかけると、生悦住さんは、「ああ、そう」と軽く相槌を打つだけだった。






明大前のお店を閉める日に挨拶に行った時は、「近いうちにキッドアイラクホールの前に店を開くので来てもらいたい」と話していた。




翌月、お店を訪ねようとして、見当をつけた場所に行ったが、店はどこにも存在しなかった。





お店の存続については、当時職を失っていた私にとっては如何ともし難い問題だった。





実は、一度だけ、PSFが発刊していた、「G-Modern」に記事を書いたことがあった。モダーンミュージックに勤務していた黒田さんが推薦してくださり、最終的には生悦住さんが許可して掲載されたものだった。



結局、私はこのときのご厚意に、永遠に報いることができなくなってしまった。




今でも思い出すことばがある。



「インストの即興も良いけれど、最後は歌だよ」




聴くのを薦められたのは、田端義夫船村徹だった。






惜しげも無く授けていただいた貴重な助言や示唆を、しばらくの間は反芻してみたいと思う。





生悦住さん、本当にありがとうございました。