超即興  吉祥寺Foxhole

超即興 内橋和久 吉田達也



インディペンデントな音楽を聴き始めたのはいつだったか。




もうすぐ50歳になるということもあり、昔のことをいろいろと思い返した。




1998年の秋、桐朋学園の学園祭に菊地雅章が来て演奏するというので聴きに行った。

沿線の駅に貼られた告知のポスターには、「桐朋学園菊地雅章来る」という風に書いてあったので、てっきりソロピアノかと思っていた。開演前に席についてみると、ピアノのほかにウッドベースとドラムスがセットされていた。

ドラムスは吉田達也だった。




当時の私は、ジャズしか聴いていなかったので、当たり前のことだが、アンダーグラウンド/インディペンデントなミュージシャンの知識が皆無だった。

だから吉田達也については何も知らなかった。





菊地雅章とロックのリズムの組み合わせは、初めて聴くものだった。

スネアを左手で、ハイハットを右手で叩き、8ビートを刻んでいたのがとても印象に残っている。(なぜだか、それ以降聴きに行ったライブでは、そうしたドラミングを聴くことはほとんどなくなった。)


最初はまばらだった中庭の観客席が満席になり、中庭を囲む校舎の窓に、音楽を学ぶ多くの学生が身を乗り出して聴いていた。

そのなかで、吉田達也は、マイクを寄せてヴォイスを披露した。



私にとっては衝撃的だった。



それから、菊地雅章菊地雅晃吉田達也のスラッシュトリオを聴き、ルインズ(ベース:佐藤研二)、ルインズアローンを聴いた。

2004年ごろだったと思うが、初台ドアーズで内橋和久、灰野敬二ナスノミツルらを聴いた。


数年後には、菊地雅晃の2ベースカルテットのデビューライブも聴きに行った。


私の場合、そのあたりが原初体験だった。



そうしたわけで、当時から聴いている音楽家に対しては特別の思いがある。





内橋和久の名前は実は以前から知っていた。私は、1980年から新宿ピットインのスケジュール表を毎月チェックしており、アルタードステイツのクレジットを何度も目にしていたからだ。だが不幸にもアルタードステイツのライブには行ったことがなかった。今考えると、ずいぶんと保守的だったのかもしれない。勿体ないことをしたと思う。






さて、この日聴きに行ったライブは、内橋和久と吉田達也のデュオ、「超即興」だった。



会場の吉祥寺・Foxholeは、ご主人とスタッフの音楽を愛する姿勢が客にも伝わってくるような良い会場だ。とてもくつろげるし、真摯な態度で音楽を聴ける。



超即興をライブで聴くのは2度目だった。



この日、私は吉田達也のドラムスの真ん前に座席を取った。


3拍子、5拍子が続いたと感じているうちに、急速調でタムを叩いているうちに私にとっては、わけが分からなくなり、突然32分音符(1拍8連)がフィルインで入る。このドライブ感は何ともいえない。 



先日の秋葉原グッドマンのサンヘドリンのライブの最初の曲のイントロでは、ひとつの小節のなかで、拍子が変わっていく叩き方が際立っていた。この日のFoxholeのライブでも、この叩き方が印象的な場面があった。






(たまたま私が知っていた変拍子は、ひとつ以上の小節ごとに拍子が変化することを意味していた。これは、どうやらクラシックの解釈らしく、このブログの記事を書き終わった後に、念のため信頼できる音楽家の方に確認したところ、3拍子や4拍子以外はすべて変拍子とするのが自然であるということを知った。たまたま知っていたのが一般的な解釈ではなかったため、大仰な印象を与える可能性が高いが、まあ個人ブログなのでそこは大目に見てもらいたいと思う)


ただ、聴いているうちに、どこで変拍子になっていて、どこが複合・混合拍子になるのか区別がつかなくなってくる。


何年も前の即興のライブや藤井郷子カルテットのライブなどでは、私のような素人が聴いても明らかに「これは変拍子だ」と分かるようなドラミングだった。


だが、少なくとも、去年から続けて聴いている吉田達也が参加したライブでは、変拍子の判別が困難なドラミングを聴いていたように思う。

本当に急速調で拍数が次から次へと変わっていく。



複合拍子、混合拍子、ポリリズムを含めて、不規則なリズムのすべてを変拍子とする立場からいえば、言葉遊びでしかないのだが、一(いち)リスナーの私としてはとても興味をひかれた。









内橋和久が、ダブルノートをグリッサンドで連続させるときは、リズムパートとなり、これをバックに吉田達也がソロを取り始める。コードカッティングの時には、ものすごいドライブ感が出る。



その疾走感には鳥肌が立つ。


パワーコードも使っていたと思うが(?)、なぜかリリカルだった。

逆説的だが、シングルノートの速弾きを避けることで、むしろ速さを醸し出している。

これは、内橋和久独特のリズム感からくるものだと思う。速弾きしなくても、テンポやリズムの微妙な移ろい・変化によって、疾走感が生まれるのであろう。








この日の内橋和久は、エフェクター類のセッティングを控えめにしていたようだった。小岩のBushBashや新宿ピットインの時は、相当な種類のエフェクターを使っていたのと対照的だ。




同じデュオユニットでも、5か月前に聴いたものとは、まったく違ったライブ演奏を聴かせてくれた。


ぜひとも、また聴きに行きたいと思う。