MAHANYAWA マハンニャワ 2days インプロ  Senyawa with 内橋和久とセッション仲間  Super Deluxe




5月21日西麻布・Super Deluxe

マハンニャワ(センヤワ with 内橋和久)
灰野敬二
山川冬樹
大野由美子
吉田達也
小山田圭吾

昨年のツアーを聴きそびれてしまい、今回ようやく観に行くことが出来た。


センヤワは、ヴォイスのルリー・シャバラと、楽器(創作楽器)奏者のヴキール・スヤディーからなるインドネシアの音楽ユニットで、ジャワ島を拠点としている。

それが事前の情報のすべてで、Youtubeなどは一切聴かずにライブ鑑賞に臨んだ。


インドネシアの音楽家たちということで、当初は純粋な民族音楽を連想していた。民族音楽を生で聴いたのは、インド、ウズベキスタン、それにフィリピンの音楽家のものだけだったので少々心細かったが、民族音楽とインプロの融合はどんな風になるのか。などと勝手な想像をしていた。

内橋和久の司会進行でライブが催された。内橋は、即興演奏をするユニットをその都度指名して、その場ですぐに演奏が行われた。

最初のセットは、内橋和久、吉田達也の超即興と、ルリー・シャバラだった。内橋、吉田の変拍子に、スマートでありながらも果敢に挑んで良く反応した。

ところが、以降のセットは理性的でいるのが辛くなり、ひたすら音に身を委ねた。



常ひごろ体験しているインプロのライブとはずいぶん違った趣きだった。


それは、まぎれもなくエネルギーの塊(かたまり)が空(くう)を浮遊し、ぶつかりあいながらも融合し、離散し、離散しながらも融合していく、そんな感覚に囚われた。


熱エネルギーと音エネルギーが飛び交い、相互に交換しているような感覚だった。


音が熱になり、熱が音を帯び、それが天空に消えていく。そんな磁場が会場を支配した。


(蛇足だが、熱エネルギーと音エネルギー(振動波)は、相互に変換できることが科学的に証明されている)


だれが奏者となっても、その現象は続いた。



音を音そのものとして認識することは私にとっては不可能だった。


楽音とか噪音とか、整数倍とか、非整数倍とか、そんな分析が滑稽に思えるような霊的な場を皆が共有した。


センヤワの二人の存在に負うところが大きかったことは誰も否定できないと思う。



この夜の音楽には、真に原初的(プリミティブではなく)な佇まいの、集合体や民族、人類に共通する「ひな型(普遍的無意識)」が潜んでいた。