2013年12月13日(金) サンヘドリン (灰野敬二、ナスノミツル、吉田達也) 秋葉原グッドマン






















サンヘドリン(灰野敬二ナスノミツル吉田達也)12月13日(金)秋葉原グッドマン



以前のブログの記事で年末にかけてライブを積極的に聴きに行きたいと書いたのだが、体調を崩して大事をとっていた。深刻ではないのだが、楽観視もできない病気なので、自分で自分に気を遣っている。

スケジュール帳に書いておきながら、斜線を引いたライブもあり、本当に残念だった。


それはともかく、この日はサンヘドリンのライブを楽しむことができた。


三軒茶屋グレープフルーツムーンで聴いて以来だった。




開演前に、take’s home pageの主催者である、竹田さんと初めてお話した。こうした音楽を聴き始めたころから、いつも参考にさせてもらっている。






灰野敬二が、ヴォイスも他の楽器も使わずに、ギター一本で臨むライブは私にとって初めてだった。コアなファンにとっては、そうしたライブにめぐり合うことが過去にあったと思うが、私にはそうした体験は無かった。



前半と後半を比べるならば、前半はインプロで後半は不失者を彷彿とさせる展開だった。



後半のほうがイメージにぴたりと来る展開で拍手も大きかった。前半の展開に灰野敬二らのファンは戸惑っていたのか拍手はいまひとつだったが、イメージで音楽を聴くわけではないので前半の展開も軽視できないのではないかと思う。


前半の灰野のギターの音量は極めて抑えめであったと思う。正直、私はその音量に驚いた。



最初の曲で吉田達也のドラミングが、短い間に拍数を何度も変えてリズムを取っていた。不思議なことに、いわゆる変拍子にはならなかった。ほかのドラマーがあまりやらないようなリズムの取り方で、とても興味深かった。難しい技能だと思う。



灰野敬二は、ピック(もしくは手)で弦を強く抑えながらカッティングする独特の奏法(数年前に週刊誌のAERAで本人が明かしていた)はほとんど見られなかった。もちろん、彼独特の体全体の大きな動きも。

その代わり、ひとつのコードを分解・発展させながらアルペジオを奏でることがたびたびあり、目を引いた。



ナスノミツルは、エキセントリックだった。

私の場合、ナスノミツルのベーシックな技能は、横浜のストーミーマンデーで毎年新春に開かれるエレキサミットで知った。16ビートの曲では、ボトムがずっしりと重く、グルーブしなおかつタイトだった。グルーブはリズムの「揺らぎ」を伴うものだと思うので、タイトという表現とは共存しないはずだが、彼の場合は共存していた。



ただ、この日のライブの前半では、リズムを刻むことは滅多になかった。

ナスノのベースはリズム楽器として単純に捉えられない何かがある。

すべての音は、彼のその時その時の音楽観の表出ではあるように感じられる。



ベースとドラムスの暴れ具合は相当なものだったが、肝心の灰野敬二の爆発がない。






後半はうって変って、灰野のギターの音量も上がり、彼独特の身体表現を交えたカッティングをし続けた。

灰野のギターは雄叫びを上げた。

アンコールも含めた後半は、バンドとしての一体感が醸成されていたと思う。





ただ、このミュージシャンはいつもこうするから、こうしないのは違和感がある、とか、このミュージシャンはこういうものだ、というのはリスナーサイドの勝手な解釈ではないかと思う。もちろん、私のブログも私の勝手な解釈なのだが。。。


少なくとも、このブログで取り上げる音楽家はさまざまな挑戦を試みようとしている。

2ndアルバムをリリースした記念に開催されたグレープフルーツムーンのライブとは、本当にまったく違う演奏だった。

前回は、ロック(ところどころ民族音楽)だった。




3rdアルバムのリリース記念となった今回のライブは、灰野敬二ら3人の新たな試みだった。

私はそれを理解したいと思う。