超即興 (内橋和久 吉田達也)、 久土’n 茶谷 小岩BUSHBASH


超即興(内橋和久、吉田達也)のライブを見るのは初めてだった。1stアルバムは、一体何度聴いたことだろうか。もちろん、二人が参加したセッション内でのDuoは聴いたことがあるけれど、超即興というユニット名では初体験だった。




最初のセットは、茶谷雅之と内橋和久のDuoだった。

茶谷のドラムを初めて聴く。
インプロ演奏では決して器用な方ではないと思う。
しかし大げさかもしれないが、一音一音に魂のこもっている感じがありとても良かった。
思わず引き込まれた。


次のセットの、吉田達也山本久土が「初の共演」ということだったので、内橋和久と茶谷雅之の共演は過去にあったのかもしれない。

茶谷は自らの感じるところを突っ走るという展開のようだった。内橋和久は、豊富な引き出しから次々と音を繰り出してくる。

ふさわしい例えだとは思えないが、なぜか初期のunbeltipo佐野康夫と今堀恒夫の組み合わせを思い出してしまった。


そして吉田達也山本久土のDuoとなった。

山本久土は、手数は多くないが、激しくも抒情を備えたカッティングが意外にも吉田達也のドラムにマッチしていたように感じた。
吉田達也のドラムに応じていた山本は体力の限界であるかのようなそぶりを見せたが、ほとんど休憩なしで自らのグループ演奏に突入した。


久土‘n 茶谷。

山田民族のライブのときにも同じようなことを書いたけれど、いろいろなところでクレジットされているのを見ていたが、聴くチャンスがなかった。
グーグルで検索してみると、「アコースティックパンク」と評しているサイトがあった。
だが、私個人の中ではジャンル分けができない音だった。ただ久土‘n 茶谷の音楽だけで十分だと思う。

パンクにしては複雑すぎるドラミングが、山本久土のカッティングとボーカルに絡んでいく様子はクールだ。彼らのファンが多くいた会場が高揚したのも納得できる。

最後が超即興だった。

まず驚いたのが、内橋和久のエフェクター・レクトロニクス関連の手数の多さと俊敏さだ。

高めのテーブルの上に多くの装置があり、内橋は頻繁に手で操作するのだが、これまで見たことがないような激しい動きだった。まるでパーカッションをたたいているような様子だった。それが吉田達也の怒涛のドラムングと妙にシンクロナイズされる。少なくとも私にはそう感じられた。

ギターのカッティングが強調される曲では、1stアルバムを彷彿とさせる場面があった。
吉田達也のドラムとの掛け合い・応酬が際立つ。私はこの場面がとても気に入っている。

吉田達也は、このユニットでは、変拍子をあまり使わず、私が体験したライブのなかではAcid Mothers Templeなどのグループやマニタツでの演奏を想起させるものだった。

吉田達也のドラムセットの真ん前に陣取ったが、音の厚みが心地良かった。
吉田達也のドラムは鋭利だが、緊張を強いる音ではないのが不思議だ。

どこか温かみと包容力がある。

吉田―山本のDuoの後、吉田の使ったドラムスのセッティングをし直している茶谷が「スネアがすげえいい音になっている」とつぶやいた。