坪口昌恭 TZBOLABO  ゲスト 菊地成孔 荻窪Velvet Sun


12月18日 荻窪Velvet Sun  坪口昌恭 TZBOLABO 2015 第6回「レアグルーブと今ジャズ」ゲスト 菊地成孔



今では考えられないけれど、1983年に「構造と力」(浅田彰・著)という現代思想書が刊行され、全国の学生生協のベストセラーとなった。これと前後して、構造主義という思想が、ポストモダンの波が押し寄せた1980年代の寵児となり、一種の社会現象となったものだった。フランスの現代思想を「今っぽいもの」として多くの若者が受け入れた。



(その当時、私の知る限りでは構造主義の明確な定義付けはされていなかったと記憶していますが、wikiでは簡潔に定義されているのでそちらを参照してもらえれば幸いです。)


菊地と坪口が、こうした思想に影響を受けていないはずはないと私は邪推している。坪口と菊地の切り口は、まさに構造主義を地で行く分析だった。


現代のアフロアメリカンのジャズを指す「今ジャズ」という枠組みに即して対談が行われた。休憩なしでゆうに2時間を超えた。



自分なりにノートは取ってあるので、おそらくは一(いち)リスナーとしてのレポートも可能かとは思うが、有料コンテンツへの移行という時代状況を慮って今回は控えたい。



今様(いまよう)のジャズを分析したうえで、さまざまな解釈が示された。とりわけ印象に残った、以下のことばを記すにとどめたいと思う。



ドミナントが解決せずに、バックのコードが無重力の浮揚感漂う音楽のなかで、ペンタトニックがごきぶりのようにどんな環境でも生きていくことができる」



坪口のピアノ解説があったため、音楽の知識のない私でもわかりやすかった。もちろん、知識があるひとにとっては、いろいろな意味合いがあることは想像するに難くない。



最後に、坪口昌恭のピアノ、菊地成孔のソプラノサックスのデュオで、“ミスティ”が演奏された。



ビバップのように感じられるところもあったが、うまく説明できないけれど新しいひらめきと趣向のある演奏だと思った。



東京ザビヌルバッハ以降の両名の作品は結構持っており、プロダクツという点からは、おそらく菊地らの指す「初心者」には当たらない。



ただ、ナマの演奏という点でいえば、菊地成孔の演奏は2005年の新宿ピットイン40周年記念行事以来2回目で、坪口昌恭の演奏は初めてだった。



1月13日に高円寺showboatで行われる超即興(内橋和久・吉田達也)+坪口昌恭の前売りは買ってあるので、その日が楽しみになった。