灰野敬二 高円寺Showboat 2015年12月30日


12月30日 高円寺ShowBoat 灰野敬二


2014年に続き、2015年の暮れも、灰野敬二を聴きにショーボートに行った。


この日は体調がすぐれずイスに座りながらも体の置き場に困るような感覚を覚えていた。


このため、惜しいことに、最初の弦楽器(サズもしくは、アイリッシュブズーキ?)の演奏のときは集中できずにいた。しかし、演奏を聴いているうちに段々と回復してきた。



弦楽器の演奏を終えると、灰野敬二は、ステージ最前列にある、たくさんの電子機器を並べたテーブルに歩み寄った。向かって左側には数台のCDJ(?)、右側にはおびただしい数の装置が配置されていた。



最初に単音を出した。これがしばらく続いた。この音に絡ませるように、ひとつの音を加えた。そして、またひとつ音を加えたとき、最初の音が聞こえなくなりそうになったものの、そこここに音の輪郭が見え隠れした。加えられた音は、大きく歪み振幅が激しくなっていった。安易に聴こえかねないような擬音の試みはなされていなかったはずだが、私にとっては突風や雷、波のような自然界に存在する音を想い起こさせた。ほどなく、これらの音に、ノイズらしき音の群れがかぶさっていった。そして、最初の音はかき消されていった。ループさせた音がビートを刻む。轟音も加わった。聴覚が麻痺していくように感じるころ、後から加わった音が剥がされていった。


最後に単音が残った。残った音は、最初に出した単音だったのだろうか。それとも別の音だったのだろうか。



この日の灰野敬二は、それぞれのセッティングの間(ま)を十分に取っていたように感じた。おかげでレコードの曲間のような時空間を体験できた。



エレキギターを手に取った灰野は、とても静かだった。
(ギター本体のボリュームには触っていないような記憶があるので、足元に音量コントロール装置があったのかもしれないが本当のところは分からないままだ。)
これほど音量の少ない灰野敬二の演奏を聴くのは、私にとっては初めてのことだった。
囁くように歌い、軽く触れるようにギターをつま弾いた。



左手でギターの指板を押さえたまま、左手よりもネックに近いところで弦を右手で軽くタッピングし、グリップした左手のすぐ右側でタッピングする。そしてブリッジ(弦の一番下)寄りで弦を指で刻む。
この奏法は曲を通して行われた。
静けさをたたえた趣の灰野独特のリズム感覚をうかがい知ることができた。



そして突然、ギターから轟音が放たれた。


灰野敬二は身体を鋭く上下左右に動かしながら、表現し難い熱のこもったステージングを披露した。静けさが破られる過程は、灰野敬二の秘儀なのであろう。



また、静けさが訪れた。



ギターの最後の音が、おそらくはサンプリングされて、ステージ最前列のテーブルにある無数の装置のひとつに転送された(と感じたが本当のところは分からない)。



灰野は、テーブルに陣取った。


その単音はほどなくして、多くの音をまといながら爆音となった。そして天井に消えていった。



静けさは破られるためにあり、激しさは鎮められるためにあった。



しかし、入念に演出されたステージングであるとは私には思えない。



二律背反のふたつの要素は、相互不可分を保ちながら有機的につながり、この日の前半の核と化した。



その後、ふたたびギターを弾いた後、休憩となった。


第二部は、ハーディーガーディーの演奏から始まった。終始、抽象的な音が聴こえてきた。


ハーディーガーディーの演奏が終わると、アイリッシュハープを手に取った。



優美な音色が脳幹を刺激する。


最後に「こいつから失せたいためのはかりごと」を唄った。


ほんとうに静かだった。


次の日は2015年12月31日だった。意識することもなく、すぎ去ろうとする日々を思い出した。


みそかのこの日、静寂は破られるためにあったのか。それとも、破られなかった静寂が残ったのか。