liiil 千駄木・BarIsshee




9月22日 liiil 千駄木・Bar Isshee

liiil : 大島輝之(g) 吉良憲一(b) エリヲ(per) 石原雄治(ds)

昨年の春以降、liiil(リール)をはじめ、≪≪≫≫(メツ)、相殺(そうさいではなく、そうさつ)など、おそらくは2013年あたりから始動したと思われる複数のユニットが、大島輝之名義のライブ告知に目立ち始めた。どれも見逃していたのだが、先日ようやく、そのひとつをライブで聴くことができた。


会場は、以前から行きたいと思っていた千駄木・Bar Issheeだった。


渋谷時代のBar Issheeには何度か行ったことがあるが、千駄木に移転して以来、初めて訪れた。
千駄木に正式移転する前に、いくつかの臨時店舗でライブを開催していたことは知っていた。その時期に、大島輝之と内橋和久のギターデュオのライブがあったが、惜しいことに見逃してしまった。


それはともかく、良い感じのお店だ。渋谷のときよりもアットホームな雰囲気がある。




前半に同じ曲(残念ながらコンポジション即興曲かは覚えていない)を二つのヴァリエーションで演奏した。


最初の演奏は、エリヲ(per)が大きな缶/金属製の筒を振動させて始まった。残響音がしばらく続いた。幕間で観客のひとりが「聞いたことがないような音だ」とエリヲに話しかけていた(観客は、私以外はすべて音楽家だった)。確かにうまく表現できないような不思議な音だった。


ふたつのヴァリエーションのうち、最初の演奏よりもあとのほうが緊張感のある演奏だった。


大島輝之が参加しているグループ、simでは、音のずれから成るリズムが醍醐味のひとつとなっているような気がする。liiilでは、さらに冒険的で実験的なリズムを試みていると思う。


ただ困ったことに、今様(いまよう)の先鋭的なリズムを文章で説明できるほどの知識が私にはない。



4拍子はともかく、4拍5連と5拍子の違いがすぐにわからないし、凝ったサブディヴィジョンを手を変え品を変えて提示されれば、変拍子かそうでないかを判断できるかは怪しい。また、テンポルバートを変拍子と間違えてしまうこともしばしばある。さすがに4ビート=4拍子、8ビート=8拍子とは覚えていないものの、私の知識はそれぐらいのものだ。


そうは言っても、プロにわかるような文章でなければならないわけではないので、そこは観念して自分なりに感想を書いてみたいと思う。





エリヲがパーカッションを叩くときは、大概4拍子だったのだが、石原雄治のドラミングが常に4拍子だとは思えなかった。とりわけ大島輝之のギターとユニゾンしているときには、4拍子だったり5拍子だったり、それにつれてエリヲのパーカッションも拍子を変えている。4拍子、5拍子(、7拍子?)。変拍子、あるいは異なる拍子が合わさった拍子が延々と続く。リズムの洪水が体中に押し寄せてくるようだ。


突然、テンポの変化がやってくる。聴き手である私の体の脈も変化するような感覚になる。しかし、それも束の間で、元のテンポに戻る。



そして変拍子、あるいは複合拍子が矢継ぎ早に繰り出される。



拍子の中で、それぞれの楽器のビートというか打点が微妙にずれる。



見事に構築された、凝ったリズムの楽曲の場合、あらかじめ定められたリズムの羅列・組み合わせのような感じを覚えることが多いが、liiilの音は機械的な符割りには聴こえない。


休憩をはさんだ後半の曲の途中で印象的な場面があった。


大島輝之(g)と吉良憲一(b)が、石原雄治のドラムスに呼吸を置いてスタカートで何度か合わせたときのことだ。大島と吉良は敢えてジャストで合わせることを避けた。


こうした具合に、それが即興であっても楽曲であったとしても、微妙なズレがずっと続く。そして気付くと、ジャスト(オンテンポ)で演奏している。この揺らぎが、グルーヴとなって会場を包み込む。


理屈っぽくなってしまったが、聴いていて純粋に心地のよい音楽だった。自己矛盾だが、アイデアあふれる無尽蔵のリズムの洪水に説明などはいらないのだろう。



吉良憲一、エリヲが素晴らしいのはいうまでもなく、ドラムに目がない私にとっては、石原雄治のドラミングはとても魅力的に映った。



大島輝之を介して、聴いたことのないすぐれた音楽家を知ることができたことも、この日の大きな収穫だった。