灰野敬二 高円寺Showboat 2014年12月30日 




2014年12月30日 灰野敬二 高円寺Showboat



多忙を理由にして4か月以上も過ぎてしまった。

9年ほど前に、Showboatで恒例のバースデーライブを聴きに行ったことがあるが、年末恒例のライブは初めてのことだった。


会場について着席してみると、目の前のステージにたくさんの楽器や機材がセッティングされていることに驚いた。




開場時間に遅れること数十分後、灰野敬二がひとりで現れた。

最初に奏でたのが、複数の円盤状の金属でできた自作の楽器だった。2本の木棒で叩くと、共鳴・共振するような音がする。ガムランを連想させるが、もっとくっきりとした音に聴こえた。

しばらくすると、灰野は、鳴り響いている金属の円盤の上を手でふさいだ。すると音がこもった。何度かこれを繰り返したのち、ふさいだ手のひらを客席に向かって押し広げた。かすかに、だが間違いなく音は私たちに伝わった。単純なミュートと違う点はここにあった。灰野はこの動作を何度も繰り返した。

灰野敬二の熱烈なファンたちのブログによれば、この楽器はOTOと名付けられているようだ。

科学的な理論に基づいて創作された楽器らしい。
うまく説明できないが、奏法にしても、サウンドから判断しても、OTOには打楽器という枠組みでは捉えられない何かがあることが素人の私にも分かった。

灰野のタラブッカの連打は初めて聴いた。その後に展開されるループのサンプリング素材にするだけでは惜しいような演奏だと思った。





OTOとタブラッカの音が混じりあったループサウンドを基に、リズムのベースが形成された。灰野敬二は、ミキサー(?シンセ? CDJ?)で大きなノイズを出した。私は最前列から2列目に座っていたのだが、左右にあるJBLの巨大なPAスピーカーから流れ出す大音量のノイズがとても平坦なものに感じられた。

違和感があったので、前のめりになり、ステージ前のモニタースピーカーの音を聴こうとした。まったく異なる音が聴こえた。リズムパートが粒立って、全体のサウンドが立体的に浮かび上がった。

当然のことながら、ステージ上、最前列、客席真ん中、最後尾と、それぞれ違ったサウンドが聴こえてきたのだと思う。

(先日、ドラマーの弘中聡のブログを読んでいたら、「叩く側と客席側の音の違いは永遠の課題」と書いてあった。)

一体、どれが「本当の音」なのだろうか。

きっとどれも「本当の音」なのだと思う。


その後、電子テルミンを演奏したときには、ステージ後方のマーシャルのアンプから音が出た。とても心地よかった。



2013年の暮れに始動させたHardy Soulのメンバーから、川口雅巳と山崎怠雅がゲスト参加した。山崎怠雅を聴いたのは初めてのことだった。

第二部では、山崎怠雅のアコースティックギターの伴奏で、灰野敬二がドアーズやビートルズの曲を唄った。カバー曲であるため、名盤「哀秘謡」に聞かれるような絶唱を予想していた。しかし、灰野はとても繊細に、ある場面では原曲に忠実に唄った。熱が籠ると、灰野の声が何小節にもわたって伸びていく。気が付くと、灰野の唄が永遠に続くような感覚に陥った。

山崎怠雅のギターは巧みだった。灰野独特の長い節回しに対して、抜群の間(ま)を取りながら違和感のない和音を重ねながら爪弾いていく。武骨なロックギタリストという感じがまったくしないのは、中性的な容姿のためではなく、技巧的な秀逸性がそうさせていたのだと思う。



灰野敬二は、ほんとうに様々な楽器を演奏した。たったひとりの音楽家のものとは思えない多彩さだった。

アイリッシュハープの流麗な旋律、サズ(アイリッシュブズーキ?)の瞑想的な響き、ハーディーガーディーの重厚にして軽妙な音。どれもが心を躍らせる。

ヴォイスの独唱を聴いたのは、10年ほど前に代々木loop-lineで三上寛足立智美らも出演したヴォイスソロの催し以来のことだった。

第二部では、川口雅巳、山崎怠雅のアコースティックギターを従えて、灰野がアフロアメリカンの歌を唄った。最初の曲の途中(だったと思う)で、タッピングなど技巧を凝らしたバッキングをしていた山崎怠雅が灰野に呼ばれた。山崎は耳元で入念な説明を受けた後、ステージを去った。
その後、川口雅巳ひとりが伴奏を始めた。ブルースにしては複雑なコードを使ったバッキングだった。ディミニッシュやオーグメントなどの不安定な響きを感じたが本当のところは分からない。

リズムのアクセントが前にあるような気もするし、後ろにあるような気もする。川口雅巳のギターには不思議な乗りがあった。川口は黙々とコードを弾いた。

灰野敬二は、おそらくリズム的な統一感を出したかったのだと思う。川口のギターが熱を帯び、灰野も絶叫した。



抑鬱から解放へ、そして純化に至る、私個人の精神の移り様(よう)が灰野敬二のライブを聴く醍醐味となってきたような気がする。

そんなことを感じた年末のひと夜だった。



更新していない間、多くの方々に訪問していただいて感謝します。