渋谷毅 鳥居さきこ  高円寺グッドマン 11月15日 2013年




















渋谷毅、鳥居さきこ 高円寺グッドマン



木曜日と土曜日は、行きたいライブがあったが用事でやむなく断念した。



金曜日の仕事帰りに足が向いたのは、高円寺だった。

高円寺グッドマンを訪れるのは、6,7年ぶりのことだった。

前々からグッドマンで月1度演奏している渋谷毅を聴きに行こうと思っていたのだが、なかなか機会がなかった。

最後に渋谷毅のライブに行ったのが、1999年だったので14年ぶりとなった。

グッドマンのスケジュールをチェックしていた限りでは、以前は平田王子とのデュオが多かったと記憶しているが、この日は新進気鋭の鳥居さきことの組み合わせだった。




最初に渋谷毅のソロ演奏があった。



I didn’t know about youで始まった。



名盤「野百合」に入っている「秋意」を挟んで、Body and Soul、いくつかのメドレーがあり、Just a gigoloを聴くことができた。



不思議だ。


最近気に入ったバド・パウエルの「アット・ザ・ゴールデンサークルvol.1」の中にソロピアノ曲があるのだが、それが”Just a gigolo”であり何度も聴いていたからだ。



渋谷毅のピアノソロは、とても気品があり、儚く美しい。

消え入りそうだが、伸びやかであり、軽やかに聴こえるが、音に芯があり重みがある。



このJust a gigoloは、とりわけ心に響いた。


ジャズを聴き始めのころは、テーマ、アドリブ、テーマという展開を教えられていたものだが、テーマもすっかりリハーモナイズされており、ちょっと聴いただけでは何の曲か認識できない。しかし、渋谷毅のピアノは淡々と奏でられ、とても自然な流れに聴こえる。

リハモというよりも、解体して再びその場で作曲しているような気がしてならない。



一番興に乗った演奏がメドレーだったが、思索しながら音を選んでいたように感じた、I didn’t know about youやBody and soulなどが個人的にはとても気に入った。



半世紀に及ぶ音楽活動の中で育まれたと思われる、「魔法の引き出し」から、次から次へと繰り出される音は意外性がありながらも、とても自然に聴こえる。

(主旋律から離れたという意味での)カウンターメロディーを右手で繰り返し弾いたほか、突然アートテータムを意識した、two fingers descending run (と言っているアメリカの音楽家がいるのでそれにならった。ペンタトニックで急速調に降順していく奏法のことだが、日本語ではこれといった表現が見つからなかったのでこのフレーズを使ってしまった。本当にこれで良いのだろうか?) 、他の曲からの引用、非和声音と、どの表現方法も、何気ない運指が自然に感じられて、思わず引き込まれた。

ソロ最後の曲のダニーボーイは耽美的だった。



うっとりしていると、突然、エブタイド(オータムインニューヨーク?)のテーマを弾きだした。引用かとも思ったが、さりげなさはなく本格的に弾き始めるような感じがしたので、メドレーになるのかと考えると、もっとダニーボーイを聴きたかったという感情が湧いた。


そして、またダニーボーイに戻った。



本当に変幻自在だった。





休憩をはさんで、鳥居さきこのソロで第二部が幕を開けた。



ボサノバのようなささやく歌声が印象的だった。つま弾くギターの音も弦に軽く触れるだけのものだった。なんだか、アストラッド・ジルベルトを連想させるなぁと思っていると、渋谷毅が伴奏に入った中盤から終盤にかけては、中央線沿いのライブハウズにとてもマッチした牧歌的な歌に変身していった。



韻を踏んだ歌詞と、シンプルなコード進行が印象的で、とくに歌詞にはとてもこだわりがあるように感じられた。



聴いていると思わず、こちらも口ずさんでみたくなる気持ちになった。



場所がミュージシャンを呼ぶのか、ミュージシャンが場所を選ぶのかは分からないが、同じよう香りがする下北沢でもライブをしているようだ。



高田渡の曲も演奏した。



私にとっては、最後から2番目と最後の曲が白眉だった。






この日は体調がすぐれずにいたが、ライブが心身の疲れを癒してくれた。

ライブ後の戸外の高円寺の夜風はとても心地よかった。