菊地雅章 ピアノソロ コンサート 東京文化会館小ホール

代々木ナルでのソロピアノ以来、7年ぶりに見るライブだった。


ホールで聴くのは、御茶ノ水にあったカザルスホールでのソロピアノ以来のことだ。

幕間と開場前に、ホール前のロビーで工藤冬里を見かけた。もし、コンサートを聴いていたならばとても喜ばしい驚きだ。

また、いつも私に今の音楽の動きを教えてくれるIさんも見かけた。Iさんがいるというのもとても嬉しかった。


もちろん、私は単なる1リスナーであって音楽業界の人間ではないので、ロビーが社交の場になるようなことはなかったが。



最前列に陣取ったため、会場の様子を把握できたわけだはないのだが、背中に感じる拍手の音がかなり強かったことを考えると、結構な人数が集まったのではないかと思う。



タワーレコードが出している「intoxicate」の#99に最新のインタビュー記事が載っていて、腱鞘炎(けんしょうえん)がひどいため、最近ではクロスハンド(両手を重ねるようにして弾く演奏方法)を用いているとあった。

「常に10thとか11thとか広げて弾いていたからね。使い物にならないくらい左手の筋をやっちゃってたんだ。
彼ら(トーマス・モーガン、タッド・ニューフェルド)と始めた時からクロスハンドを主眼としてやってきたんだけど、今はもうフレーズなんて必要ないよ。
弾いているときは、普通コードが見えてたりコードが聴こえたりするわけじゃない、そん時のさ。
それが、クロスハンドだと指がひとりでいくようになるわけで、意識してやんない。
音楽を聴きながら進んでいく。
面白い音が出てきたところから進めばよいわけだから。
最近は考えなくても自分が弾きたいもの、聴きたいことがそこに出てくる。すごく楽だね。

だけどだんだん回を重ねるごとにひとつの定型みたいなのが出てくるから、
それがパターン化しないように、それをどう壊すかっていのが、今度オレの課題になるわけ、オレが(TPT)のリーダーだから。」

ECMのSunriseでも、クロスハンドでの演奏が聴こえるし、アメリカで制作されたYouTubeのドキュメンタリー画像でも見ることができる。


コンサートの第一部は、クロスハンド主体の演奏だった。
まさにYouTubeで見た通りの演奏であって、Sunriseで聴くことができる演奏であった。

それは、とりもなおさず、腕や指の状態が思わしくないことでもあったと思う。上の文章の引用には、「左手の筋」とだけあったが、間近に見た限りでは右手も思うように動かせない様子であった。

以前ではあまり聴いたことのなかったタッチミスなどがあったのは、両腕両手の状態のせいだったと思う。菊地雅章自身は、演奏する際にかなり両手をかばっていたような気がした。

クロスハンドの演奏がないときに時折聴こえる和音、あるいはフレーズは、私が本格的に聴き始めた1990年代を彷彿(ほうふつ)とさせるものだった。いや、そのものだと言っても過言ではない。

私はとても懐かしくなった。

と同時に、とても複雑な心境になった。

毎回のようにライブに顔を出している関係者はどのように聴いているのか分からないが、菊地雅章のソロピアノ演奏を聴きに行くたびに私が感じたことは、同じ演奏(同じような演奏)は2度と聴くことができない、ということだった。

ある日のライブでは、スタンダードのテーマを何小節も繰り替えして、全編で耽美的な演奏が繰り広げられた。翌年、これを期待して行くと、ひとつのフレーズを発展させて行く決して抽象的にならない即興演奏が披露された。その数年後に、前回の再演を期待して行くと、荒々しく、極めて粗暴とまでは言わないまでも、パーカッシブになる寸前の演奏があった。

その変遷の流れは、決して奇を衒うといった類のものではなく、菊地雅章がそのとき、その場で感じたことを演奏しているということを私はとても良く理解できた。

それは、驚きの連続であり、楽しみでもあった。

だから、今回のライブで90年代を思い起こさせる音の波を聴いて、懐かしく思うとともに、複雑な心境になった。


一部の最後の曲は、「カーニバルの朝」だった。

After HoursやPlays Jimi Hendrixでも聴かれる曲だ。


とても不思議だった。なぜか私は一部の終盤にかけて、サントリーホールでのテザードムーンのライブ(Plays Jimi Hendrix)を思い出していた。その最後の曲が、この「カーニバルの朝」だったからだ。





二部に入ると、まったく違う演奏になった。

慎重に演奏していた一部とは違って、かなり熱のこもった演奏となった。クロスハンドも交えたが、その演奏でさえも一部とは異なる音になった。

まず音圧が違った。ピアノ、フォルテ、あるいはピアニッシモピアニッシモと、Pfという楽器の持つ特性を十分に生かしたダイナミクスが感じられた。

二部においても抽象的な音が中心だった。音の数は多くはないものの、鍵盤を広く使った演奏で、抑える指も広がり運指に力がこもった。

いわゆるジャズやブルースのフレーズはほとんどなかった。ほんの少しだけ、印象主義やロマン派が顔を出した。

かつて、菊地雅章は、自分がキース・ジャレットのようにピアニスティックなピアニストではないと公言していた。事実、意図的に指が動かないかのごとく演奏していたのを聴いたこともあった。

ピアニスティックという表現に関する解釈は、いろいろとあるだろうが、少なくとも私にはこの晩の演奏は「ピアニスティック」だった。それはクラシックや現代音楽の趣が強かったからではなく、そう感じられただけのことだ。

抽象的な和音や音階、リリカルな和音と音階、この組み合わせは絶妙だった。

かつて聴いたライブの中では、ピットインでの2000年のslash trio(菊地雅晃b、吉田達也ds)での展開がその象徴的なものだったと記憶している。

激しいリズムのなかで、調性から離れようとするフレーズを執拗に繰り出すうちに、突然ベースとドラムスが演奏を止めて、しばらくすると菊地雅章のピアノが静かに耽美的な音を繰り出す。

このドラマティックな展開は、なかなか他では聴くことができない。

ただ、今回決定的に違っていたのは、ドラマティックな展開がほとんど聴かれなかったことだ。

それは、抽象とリリシズム、そのどちらとも判断がつきかねる和音や音階が随所に聴かれたからだと思う。楽理に疎い私にとって、この和声を音楽的に説明することはできない。

しかし、この中間的な音が双方のブリッジになるか、あるいはそのまま提示されることによって、ドラマティックとは別次元の音楽的に流れるような展開になったことは確かだと思う。

そこには、菊地雅章がかつて頻繁に試行した、同一フレーズあるいは和音の執拗なまでの繰り返しはなかった。

音楽は流れた。時間が流れるかのごとく。

たとえある和音が提示されてしばらくの間(ま)があり、これが繰り返されたとしても。



クロスハンド奏法中心だった第一部の演奏から、変化した理由は彼自身の意識の中にあったと思う。

「だけどだんだん回を重ねる(クロスハンドの)ごとにひとつの定型みたいなのが出てくるから、それがパターン化しないように、それをどう壊すかっていのが、今度オレの課題になる…」


アンコールには、「リトル・アビ」が選ばれた。愛娘の誕生を祝うために作られた曲だ。


レコード・CDにおいては名作「Hollow Out」が初演だったと思うが、アンコールでの演奏は、Tethered Moonの「Triangle」(1991年)収録の同曲のほぼ再演に近いものだった。CDで聴かれる力強いパッセージなどはなかったが、構成や間(ま)の取り方はテザードムーンの作品そのものだ。


テザードムーンの影を連想させる終演は、回顧であると同時に、将来を暗示させる何かを秘めていたのは確かだった。