山本精一のオールナイトニッポン 千駄木BarIshee



2018年11月8日
山本精一
千駄木BarIshee

この日は、山本精一が深夜ラジオ番組、オールナイトニッポンになぞらえて
トークとライブを繰り広げた。BarIsheeの店主がサポート役にまわった。


お客さんから事前に集めた質問や人生相談等に山本精一が答える形で会が進行した。
かなり興味深い話を聞くことができた。
トークショーは、有料コンテンツなので、いつものように勝手気ままに書き連ねるのは控えたいと思う)

合間に、荒木一郎、ケヴィン・エアーズ、ニール・ヤングなどの歌を唄った。

カーネーションへの賛辞や、ユーミンについても言及があり、興味深かった。

このライブの後、大阪に出張があった。

氏の著書「ギンガ」を買って大阪で読んだら、文章と彼の地の空気感というのか、そういったものが
ぴったり合ってとても驚いた(尼崎出身なうえ、現在は大阪には住んでいないそうだが)。


有料コンテンツとは知りながらも、ひとつだけ触れたいことがある。

山本精一水木しげるについて賞賛した。


水木しげるは、おそらく昭和40年代くらいだろうか、各地でサイン会があると、あまり聞いたことがないような
妖怪の名前を熱烈なファンがリクエストしたとしても、色紙にその妖怪を着実に模写してくれたという。


水木しげるについては個人的な思い出がある。



昭和40年代、1972年くらいか、通っていた小学校の仲間たちが、水木しげるからサインをもらったという話をしていた。
そのうちのひとりは、水木プロ製作の鬼太郎のカラー絵葉書をもらったという。


当時は、漫画家やアニメ製作会社がオリジナルグッズ販売を手がけることはなかったため、クラスメートの中ではカラー絵葉書が人気だった。
どこの店にも類似品が売っていなかったからだ。


友人に相談すると、入手方法を教えてくれた。水木しげるの家を訪ねて、「サインください」というと
「先生は忙しいので」といってカラー絵葉書をくれるというのだ。


水木宅のそばに住む友人は、「今なら大丈夫」といって私を送り出した。

ドアをノックして待つこと30秒くらいで、女性が現れた。

「サインください」

「ごめんなさいね。先生は忙しいの」と言って一度、奥に退いた。
カラー絵葉書を手にして戻った。そして「これ差し上げるから」といってくださった。

とても嬉しかったのを覚えている。



8歳の春だったと記憶している。