石原雄治 山本達久 デュオ 下北沢アポロ

石原雄治が企画した、山本達久とのデュオを11月の12日に下北沢のアポロに聴きに行った。


実はこの間、聴いたライブが4本ある。



とても重要なライブだったが、今となってはすでに他の方々によって、書き尽くされている感がある。

しかしながら、だからといって、彼らの音楽が決して聴き尽くされているわけではないという背反関係にあるのは何人も否定できないだろう。


追って必ず書きたいと思う。





































自ら企画したライブに、石原雄治は山本達久とのデュオ形式を選んだ。




私としては意外な組み合わせだった。情報を入手して直ぐに、これは是非とも見に行かなければと考えた。




山本達久については、現skilkillsの弘中聡、当時BOREDOMS、PARAに在籍していた千住宗臣とのそれぞれのドラムデュオを聴いたことがあった。


一方の石原雄治がドラムデュオに取り組んだライブは個人的には体験したことがなかった。


このため、どのような展開になるか、まったく予想がつかなかった。


この日のライブの感想は、すでにSNSなどで語られており、同じ表現の繰り返しになるのを承知で言うと、2人はドラムスを擦弦楽器と見立てた。ドラムの縁やシンバルを、スティック等で擦った。この技法は、アクセントという程度の頻度ではなく、ライブ全体を通して丹念に用いられた。



気づくと、山本の重めのバスドラが規則的に入ったりする。



私の席の真ん前が山本達久だったので、彼の演奏に目と耳が行った。2人とも細やかなニュアンスで音を出していたので、遠くにいた石原雄治の音に対する理解は少し難しいものがあった。


擦弦音の洪水は、黙想的な何かを秘めていた。


2人ともドラムスを叩くのではなく、ドラムセットを使って音を出すことに集中した。


やがて私は、2000年に2枚組のCDとしてリリースされた、David TudorとJohn Cageのデュオ作品を思い浮かべた。


この未発表音源の中で、John Cageはヴォイス、David Tudorはエレクトロニクスで参加しており、前半部分のDavid Tudorのエレクトロニクスは、擦弦音を模しているように聴こえる。


ライブを聴きながら、このCDを思い浮かべた。

(断っておくが、現代音楽については本当に奥手で本来は語る言葉を持たない。John Cageの4分33秒をCD媒体で「聴いた」後で、プレスミスだと思って本気でCDショップにクレームをつけようとしたくらいの凡人のレベルだ)


しかしながら、私は、ごく自然にこの未発表音源を連想していた。


石原雄治と山本達久が、David Tudorに影響されたとは思ってはいない。


少なくとも私自身の感性においては、シンクロニシティ共時性)という現象が存在するのであれば、このライブはその瞬間を捉えていた。



けれども、2人の演奏は、撥弦音だけで終わるものではなかった。


山本達久は、グリップハンドでスネア、フロアタム、タムを代わる代わる打ち、ローリングするようなドラムングを見せる。00年代は山本の演奏に親しんだものだが、グリップハンドを使ったのを見たのは今回が初めてだった。とても巧みなスティック捌きだ。



これに石原雄治が応じる。


パワードラミングとはならずに、急速超でスティックを振る。ドラムセットのすべてに軽く触る程度で触れて行くスピードは圧巻だった。




仕事のスケジュールがいっぱいだったが、無理して聴きに行って本当によかったと思った。




2人のライブが12月にあるそうです。

12/17(月)@成城学園前アトリエ第Q藝術
19:00/19:30
\2500/\3000
石原雄治ds+山本達久ds+中山晃子AlivePainting