photo miyota 2018 浅間国際写真フェスティバル

前の記事の写真は、9月まで長野県の御代田の旧メルシャン美術館跡地で行われていた写真展のものだ。写真展は、ストックフォト大手のアマナが運営しているIMAが、文化庁オランダ大使館の助成を得て開いたそうだ。




数年前に、文化カルチャーがテーマという話で受けたスタートアップ企業のライティングの仕事をしていた。実際には、文化カルチャーではなく、エンタメレジャーだった。
しかし、当事者の間では、どうやら文化カルチャーとして認識されていたようだ。



とても違和感があり、やめるまでずっとその違和感は続いていた。


最近はYoutubeでクラシックを聴き、たまに現代音楽を聴いているが、メシアンのFête des belles eaux (美しき水の祭典)のコメント欄(すべて英語だった)で、「レディオヘッドのジョニーグリーンウッドが作曲した、ポールトーマスアンダーソンの映画音楽の盗用だ」と書いている一文が一番上に来ていて、皆でいいね(109に上った)をしているのを見つけた。



「これを読んだ時違和感があった」と書くとなると、SNS的な乗りが最先端の今日では、どちらが高尚で偉いかという文脈で捕らえられると同時にそんな考え方は永遠に遺棄すべきという話になりかねない。



誤解されるかもしれない。だが、如何せん、そんな感じの違和感を仕事中、抱いていた。


仕事場を離れる前だったと思う。


本邦最大手の映像会社と勤め先が契約しており、カメラマンと仕事をすることが何度かあった。といっても、スタートアップIT企業によくある、すべての業務進行はネット上だったので、当然、ディレクションがすべてネット上で行われ、電話でのコンタクトさえもNGだった。


こんなことは無視して、なんどもカメラマンに電話して、コミュニケーションを図った。そうしなければ、意図が伝わらなかったからだ。


各地方には、すぐれたフリーランスのカメラマンがおり、本当に良い写真を撮ってくれた。



勤め先の経費削減のため、ライティング(lighting)は一切無しの条件だったが、光の出し方をうまくやってくれるように入念にリクエストすると、彼らなりの独自性を出して、味のある写真が出来上がってきたものだった。



ある日、撮影を終えたばかりのカメラマンから電話がかかってきた。


彼は30分以上、女性モデルを賞賛した。


「こんな勘の良いモデルに出会ったのは初めてだ」と何度も話したうえ、語り口が次第に熱を帯びてくる。


キャリアのあるカメラマンだったが、筆者もそれなりに歳を取っているので話半分で聞いていた。



しばらくしてから写真が納品された。


確かに良い写真だった。


美しいとか綺麗だとかいう問題ではなく、素直に良いと思った。100枚ほどの作品を眺めて選択する作業に入った。気付くと3時間が過ぎていた。



翌日、IMA(今回の写真フェスの主催)から、メールが入った。



前回の記事で写真を載せたchad mooreの師匠のRyan McGinley(ライアン・マッギンレー)が女性モデルを募集しているという告知だった。リンク先を開くと、HPの当該ページにたどり着いた。募集期限は、1週間後だった。



すぐにカメラマンに連絡を取り、リンク先を送って、件のモデルに応募してはどうかと話すよう依頼した。


先日のモデルは上昇志向が強く、「有名になりたい」と何度も言っていたそうだ。



1か月ほどして、カメラマンに連絡をしてみた。彼女は「心の準備ができていない」という理由で応募しなかったという。




私のメールに締め切り直前の応募告知が入ったのも運命だった。




モデルが断ったというのも運命だった。



ただ、彼女が採用されたかどうかは誰にも分からない。これも運命だと思う。




Massimo Vitali✖︎谷尻誠















鈴木理策 Sansation 2009

セザンヌが描いたサン・ヴィクトワールが、浅間山と重なるように展示されていた。幼少のころから眺めていた浅間山が、こんな風に見えるとは思ってもみなかった。うまく撮れなかったけれども。